WDM48 Photography
H O L I D A Y
写真は決断。
カメラを準備してレリーズすれば好きなときに好きなものを撮れます。
逆に言えば、撮るものを決めて撮るぞと決めないと写真は撮れません。
写真があるということは、撮ったカメラマンの何らかの決断がその写真にはあります。
写真を見てその場でその写真を撮ることになった経緯みたいなものが見えてくると、写真はおもしろいんじゃないかと思います。
写真係だから撮る、運動会だから撮る...じゃなく、自分の意思でカメラを構えて、自分の意思でレリーズした瞬間から、ようやく何かが始まる気がします。
About Wdm48
AMATEUR PHOTOGRAPHER
Canon EOS 80Dを買ってTAMRONの18-400mmを付けて「これで万能なんじゃないか」と写真を始めます。いろいろやっているうちにFマウントの古いレンズを使いたくなって、ヤフオクで小銭を稼いで中古のNikon Dfを買い足しました。フィルム作品も撮れるようにEOS 55とF-501を手に入れて、いろいろなものに向き合うことができるようになりました。
自分にとって写真は「絵」の仲間です。現実を見て、道具を使って絵にしている感覚です。なので忠実性と逆の部分、風合いや味みたいなものにこだわっています。
古いレンズというのは刺激的で、ある方向に秀でるためにある方向を犠牲にしていたりします。この"尖ったクセ"みたいなものが個々の味となって写真に影響します。
カメラとレンズはどこへ向かう?
画素数や解像感、ダイナミックレンジなどスペックとしての高価値化は、単なる道具の能力の進化です。
すごい道具を使えばすごい結果が出る、ただそれだけです。
しかし、作品を作ることは「すごい結果」をロールプレイすることではありません。
高性能な道具を追いかける前に考えないといけない大事なことが置き去りになっている感じがあります。
そういう目で見ると、デジタル写真というものは、フィルムから進化したということではなく、単に別の技術や表現なんじゃないかと思えてきます。